泣きたいけど泣けない/ がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線

~前回からの続き
夫は いろんな世界を フワフワしているようだったけど 割と落ち着いていて
ニコニコ 会話をしたりもしていた
手術から数日後 「 動いてもいいですよ 」
さらに 数日後からは 「 どんどん歩いてくださいね」
でも動きたがらない
そりゃ 30cm 以上も お腹を切ってるんだから 痛いよね
だけど 動かないと 余計 回復が遅くなるので
私の車いすのハンドルを持って 病棟内を少し歩く
ただ 私の体力がついていかない
11年前の時みたいに みるみる 悪くなるって事はなかったけど
はじめの頃は 給湯室まで ポットにお湯をもらいに行けてたけど それもできなくなってきた
付き添いベッドは 高さが低い
そうでなくても 低い所から高い所に 乗り移るのは 難易度が高い
ベッドから車椅子に移乗するのが どんどん難しくなっていった

ここで母のことを ちょっとだけ書きたいんだけど
多分私は 母の顔をもう30年くらい まともに見ていない
会話はするけど
何か作業をしている風を装ってみたり
視線をあげて 話をすることはない
これは私の一方的な感情で 両親や妹からは 何のわだかまりもなく 近づいてくる
体調を聞かれても「変わりない」とだけ答える
私が入院する時は しょうがないから伝えているけど
自分の方から 話題を振ることは ほぼない
この 夫の入院期間中も 毎日 様子を見に来てくれた
こうやって お世話になっているのに 心が拒絶するのは
いい年して 恥ずかしいことだとは思う
私さえ心を開けば うまく関係が築けるかもしれないけど
それは 現在に至るまで 改善されていない
どうして こういう関係になったのかは
また別の回で 書きたいと思っている
体調が悪いことを 母には知られたくなくて
“ 母が来ている間は甘えさせてもらう ” 体を取って
簡易ベッドに座ったまま 時間をやり過ごしていた
当たり前だけど 私は 患者ではない
夜間巡回の時 私が起きていて
「大丈夫?」と声をかけてくれたことが 2回あった
私に対する言葉ではない (と思う)
「大丈夫です」
でも 私は大丈夫じゃなさそう
ある日 もう泣きたくて 泣きたくてしょうがなくなって
夜10時頃に 真っ暗な 1階の外来 障害者トイレに行った
やっと泣けるはずなのに 涙が全く出てこない
胸が苦しくて 胸をドンドン叩いたけど 声も涙も出てこなかった
本当に こういう風になるんだなぁ……
そのトイレで 30分ほど いろんなことを考えてた
涙は出なかったけど 少しだけ 心が楽になった
この 夜1階トイレにこもる行動は 3回ぐらいやったかな
私への教訓
意固地になっていても 自分が苦しいだけ
少し 心を開けば 救われる世界があるかも (大げさ)