次から次へと (´Д`)ハァ… / がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線

     

今日の誕生花  ラベンダー  花言葉:疑問、鎮静

昨日は 今 現在のことを書いたんだけど 今日はまた 12年前に戻ります。

 

初めてのがんは ラジオ波はできなかったけど カテーテルはうまくいき  予定通り退院できた

 1ヶ月後の診察の時

この頃は いつも 診察予約は 朝一番に入れてもらっていた

 

診察開始は9時

9時までに 血液検査の結果が出てないと 後回しにされるから

朝早くからの 採血の順番取りが大事になってくる

確か6時30分から 順番札が入り口に置かれるんだけど

その前から 結構 並んでいる

全 診療科の 一番狙いの人たちが集まるので なかなかな戦い

駐車場から走って 前の人を追い抜いて 列の最後尾に並ぶ

大体 元気な高齢者が多い

 

そこまでしなくても とか

どうせ 9時まで 2時間強 待つことになるのにな~ とか

横から見てれば ちょっと滑稽なんだけど^^

 

で この日

無事 1番グループで 8時に採血をしてもらった

後は 9時の診察開始を待つ

ところが 9時を過ぎて

何人も 診察室に呼ばれて入っていくのに 夫は呼ばれない

「あの人より僕の方が 採血 早かったのにー」

「忘れられとんかなー」

不安とイライラ

 

「おかしいね?」って話していたら 看護師さんが私たちのとこまで来てくれて

「 血液検査をやり直しているので ちょっと時間がかかっています。もうちょっと待っててくださいね 」と言ってくれた 

言いにきてくれたのは良かったけど それはそれで 不安になる

 

それからも しばらく待って やっと呼んでくれた

看護師さんが「奥さんも一緒に入ってください」

普段は 夫だけ入るのに なんで?

まさか? 再発? 

でも 治療したばかりだし・・・  不安MAX

 

先生が なぜ こんなに遅くなったのかを 説明をしてくれた 

・血液検査の 白血球と 好酸球がとんでもない 異常値で 検査センターに問い合わせた

・数字は間違いない 

・機械じゃなくて 技師さんの目で 数えてもらってたので 時間がかかった

・でもやっぱり 異常値

想像もしていなかった 全然 別方向からの話だった

白血病をも疑うくらいの数字って・・・

     (続く)

 

がんの威力を見せつけられた

今度の日曜日は 義父の十三回忌法要の日

夫が最近 痩せたようなので スーツのサイズ確認しとかないとなあ~と思いつつ 今日になってしまった

       

まず ワイシャツを着てみる 

首回りが〝 さすがに 買い換えないとダメ 〟なレベルの ぶかぶかで

えー こんなに痩せてたの⁈

 

次 パンツを履いてみる 

確認だけなので ベルトを通さずに履いてみた

手を離したら 足元まで ストーンと落ちてしまう

えー さすがにこれは 凄すぎる 

去年の8月に着た時は ほぼ ぴったりだったのに 10ヶ月でこんなに痩せるとは

 

上着 

パンツにベルトを通してないから パンツを持ったり 上着に手を通したり

「さっさと ベルト通した方が早い」と言い合いながら 結局ベルトなしで。

あー 案の定 ぶかぶか

 

「どうする? スーツも 新しいのにしようか?」

「いや もう いつ死ぬかもわからんし  1回だけのために もったいないからいい 」

怖いことを言う 

でも 現実はそうかも……

この 痩せ具合を見せつけられると そう思ってしまう

 

パンツは ベルトでなんとかなるし  上着は 法要の間だけしか 着んし! 

と言われて  ん~~

法要に参加するのは 夫と 夫の妹家族3人の予定なので まあ 「痩せたんよ~」で笑って ごまかすこともできるか

笑ってもらえるかな~

 

どっちにしても ワイシャツを買いに行こう!

小雨決行

 

首回りを お店の人に測ってもらって ぴったりサイズを選ぶ

今までのものより マイナス3cm

 

スーツも と思って 試着をすすめたけど

「着替えるの しんどいから いや」

こう言われると 無理にとは言えない

 

お店を出たら 強い雨が降っていて

車いすから 車に乗り移るのに手間取って びしょ濡れになってしまった

先週 天気よかったのに なんで ぼーっと過ごしてたんだか

私はいつも こう。 まったく!

 

それにしても しっかり食べているのに こんなに痩せるとは・・・ 

このまま 穏やかな日々が 続きますように。

 

カッコウ どうしたの?

今日の午前中

カッコウの様子がおかしい

休みなく いつまででも 鳴き続けている

「カッコー」という のんびりさは いつもと一緒なんだけど 止まることを知らない 

止まったかなー と思ったら またすぐに「カッコー カッコー 」

壊れた 鳩時計みたい

疲れないのかな~と ちょっと気になった 

 

カッコウが 他の鳥に自分の卵を紛れ込ませて 育ててもらうという話は 中学生頃に何かで聞き知った 

卵を預ける時に その鳥の巣から卵を1個 落として 自分の卵を産みつけるとか

生まれた子供は まだ孵化していない他の義兄弟たちを全部 巣から落とすなんて

残酷すぎる

遺伝子に 残忍さが組み込まれているのか~

生きるために 捕食するのとは ちょっと違う気がする

 

だからこれまで カッコウには あまり良い印象を持ってなかったんだけど 

今日 カッコウの声を聞きながら ちょっと考えた

 

カッコウは その預け先を見つけるまでに 多分いろいろ物色をしたり 張り込んだり かなりな労力を使うんじゃないか? 

そんなことしている間に 巣を作った方が早いよね

まさか 巣を作る能力を持ち合わせていない?

 

育ての親も しっかりしないと!

卵の時は見分けがつかないのは まあ わかるとしても

生まれてきた赤ちゃんが 自分よりも 体がでっかくなったら 「あれ?」って思わないのかな 

それに 自分の子供が そのカッコウの子供に殺されてても

じーっと ぼーっと見ているだけって!

で、残ったカッコウの子供に せっせと 餌を運ぶってわけでしょ 

どういうこと?

 

それで 子供たちを皆殺しにされた鳥たちは どんどん数が減っていって絶滅危惧種 レベルになるかというと・・・?

案外 この ‘ 他の鳥に育ててもらう ’ っていうのは おいしい話でもないのかも。

 

カッコウの声を聞きながら ただ ぼーっと思ったことを書いたので

野鳥の会の人が 万が一 このブログを読んだら ツッコミどころ満載すぎて呆れられますね

ごめんなさい

       

 

初めてのがん診断より 印象に残ったこと/ がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線 

 

 今日の誕生花 スターチス   花言葉:知識

インターフェロンが中止になってから 1か月後 腹部エコー検査を受けた

エコー室の前で待っていたら 看護師さんが

「先生の説明を一緒に聞いて下さい」と呼んでくれた

もしかして・・・ 

 

「1cmくらいのと 2cmくらいの がんが2個 大腸のすぐ横にあります」

あ~ やっぱり! 

いつかは がんになると聞いていたので “ とうとう来たか ” という感じだった

普通 カテーテルとラジオ波の 両方の治療をすることが多いらしい

ラジオ波というのは  腫瘍の中に針を刺して ラジオ波電流を流し、熱で固めて がん細胞をやっつける治療

     

水をかけて 冷やしながらやったとしても  大腸がやけどして 穴が開いたら大変なことになるので ラジオ波はできない と 説明があった

カテーテルだけをすることになった

 

その場で先生は  日程調整をしてくれた

どこか(たぶん放射線科?)に電話して 空き状況を確かめてるんだけど

ものすご~く丁重に ものすご~く下手(したて)に 相手に気を使いながら話している

電話を丁寧に切ったとき 私も緊張が解けて やっと息ができたー  と感じたくらい。

 

お医者さんも大変だなぁ

患者にはもちろん 患者の家族にも気を使い 

看護師さんや 他のスタッフにも気を使い

同僚や 先輩の先生方には 特別に気を使い

病気を見極め 治療方法を選択し

自分で責任を負う

頭がいいだけでは やっていけない世界

 

患者の〝 理解度のレベル〟も 人それぞれで イライラすることもあるだろうし

人の人生を左右することになる場合も 多いだろうし・・・ 

ネガティブに 考えていったら きりがない

 

浅~く 考えただけでも すごく怖い

私みたいな性格の人間には 絶対 無理な職業だな~

 

今までお医者さんに 心の中でブチギレたことが 何度かあるけど

ちょっと心が狭かったかなと 一瞬 流されそうになってしまった

いやいや それはそれ、 これはこれ

 

あ~そうだった! 義父の事を思いだして・・・  謝りたい

今月の15日は 義父の十三回忌法要の日

そろそろ スーツの確認をしないとなあ~と ぼんやり考えていたら 

( °o°)ハッ  そうだった!

つながった‼  

 

義父は 1994年に くも膜下出血で倒れて 

深刻な後遺症は残らなかったんだけど

ちょっと 感情のコントロールができなかったり 動作がゆっくりになっていた

義母は2012年の春から レビー小体型認知症認知症病棟に入院していたので 義父はその病院まで 片道20分 毎日お見舞いに通っていた

 

2013年の1月 「咳が出て夜 眠れない」と言って 義母の主治医(精神科)の診察を受けた 

普通 内科に行くんじゃ?

まあ この M先生は レントゲンを撮ってくれて 「今すぐ かかりつけの病院に行くように」 と言ってくれた

 

義父 「次の診察予約は 3週間後なので その時までの咳止めのお薬をください」

M先生「いや 僕から そっちの病院に言っといてあげるから 今すぐ!」

義父 「え~ いや~ 薬だけ~」

ぐずぐず言っているうちに M先生が H病院に連絡をとってくれた

「1時間後に 予約を入れたから 今すぐに行ってください」

 

H病院に着いたら 検査 検査

「肺がんだと思います 確定させるために M病院で PET検査を受けてください」

 

翌日 夫が運転して M病院へ。

一週間後 PET検査の結果を かかりつけのH病院で聞いた

骨、肝臓、リンパ節 おなかの中 とにかく全身 あちこちに転移していた

「がん拠点病院のS病院に 紹介状をかきます」

S病院は 夫がずっと かかっている病院

 

S病院に行ったけど 治療ができる状態ではない

「あと もっても 2か月です 今年の桜は 見れないと思います」

 

この 義父の病院で バタバタしていたのが ちょうど 2013年2月 

昨日 夫の病状の記憶が すっぽり抜けていると書いた時期とピッタリだ

そういうことか !

今まで 気づいてなかった方が どうかしてる

 

このあと 義父は桜を見れて 次は 花火が見えたらいいね と言っていたけど

それは叶わなかった

 

言い訳になってしまうけど 

3月に 夫のがんが見つかり 治療

4月に 白血病かも という事態になって 別の病院で4月 5月を過ごし

私は その夫の病院関係で あたふたしていて 

義父を気遣ってあげられなかった

義母は認知症なので頼れなかったし 義父は とても辛くて 寂しかっただろうな と 亡くなってから 思い至った

 

最後は 緩和ケア病棟で過ごしたんだけど 亡くなった後に 先生や 看護師長さんから

「お父さんは いつも 奥さんや 息子さん(夫) お嫁さん(私)のことを とても心配してましたよ」

「それぞれ みんな病気だから 大変なんだと いつも言ってましたよ」

と 聞いた

 

2年後の6月 義父の三回忌の3日後 義母が亡くなった

毎年 6月は 後悔ばかりの 辛い月

  

    今日の誕生花 シラン 花言葉:希望

記憶の空白/ がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線

 

 今日の誕生花 マツバギク  花言葉:順応性

私たち夫婦の入院記録として 〈 何年何月に 何日間 入院した〉ということだけは ノートにつけてるんだけど 病状や 治療や その他の事は全く書いていない

 

夫の病気の経過を このブログを書く時に 思い出しながら書いているんだけど  

古いことなのに 会話の内容や 細かいことまで 結構 クリアに覚えていることに 自分でも驚いたし 不思議だなぁーとも 思っていた

私の病気の経過を辿ろうとしても ぼんやりとしか思い出せないから ほんとに不思議

この違いは なんなのか?

自分の出来事の方を よく覚えているものじゃないのかな~

 

なのに 2回目のインターフェロンが中止になって

その後の一か月間の記憶が すぽっと抜け落ちている

インターフェロンが中止になったのは 2013年の2月

はじめて 肝細胞がんが見つかったのが 2013年の3月

がんが見つかった後のことは 

この“ がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線 ”シリーズ(?)で

書いてきた

 

別に 一か月間の記憶がなくても どーってことはないんだけど

というのは

このあと がんの治療で カテーテルやラジオ波 をするんだけど

その治療の後 毎回 数時間 モニターをつける

心電図、血圧、酸素量 などを 測っている

 

その酸素量が常に少ない

88や89% 

アラームが鳴る

「深呼吸して」と言って 2、3回 深呼吸をすると 90や 91%になって アラームは止まる

だけど またすぐ 90をきって アラームが鳴る

そうでなくても 術後で色々心配なのに ピコンピコン 神経を逆なでする

 

高齢者は 年月をかけて肺の機能が落ちてきてるので 90%くらいでも 本人は全然しんどくない という人も多いらしい

コロナの時には96%以下になったら要注意!と言われてた時もあったな~

 

夫は 常に90%前後で 生きているので 〈地域清掃のブログ〉で書いたみたいになるときが たまにある

az088.hateblo.jp

だから 間質性肺炎が関係あるかどうか 気になるのに 

よりにもよって この間の記憶がないとは・・・ 

 

インターフェロンで眼底出血・間質性肺炎/ がんの治療をやめたいだけなのに~妻の目線 

 

 今日の誕生花  クローバー  花言葉:約束

脾臓摘出手術から1年後 インターフェロン治療をもう一度やってみようということになった

『 肝炎治療に対する医療費助成制度 』というのがあって

所得額で金額は変わってくるんだけど 一か月1万円を超えた分は 県が払ってくれるということだった

1回目のインターフェロン治療の時は そういう制度がなかった

とても助かる 

保健所に申請してから 受給者証交付まで 約1~2か月かかるとのこと。

『 肝炎治療受給者証 』が届くのを待って 治療を開始

それと同時に 副作用に眼底出血が起こることがあるからと 眼科にも月一で受診することになった

 

治療を始めて2ヶ月後  眼科で「右目に眼底出血の傾向がある」と。

インターフェロン が半量になった

この診察の時 「最近 咳が良く出る」と言った

「この前CT撮った時に 肺の方も見た。問題なかった」

 

次の診察の時にも 「空咳がでる」と言った

「呼吸器科で診てもらって!」

 

その次の診察の時にも 「空咳がでる」

(°ㅂ°҂)  ため息 付  で 「そんなに言うなら レントゲンを取りましょうか」

   私が こう感じただけ

レントゲンのつもりで放射線科に行ったら CTだった

内科の看護師さんは「レントゲンが終わったら 内科診察室の前で待っててください」と言ったのに 放射線科の人は 「ちょっとここで待っててください」と。

どっち?と 戸惑いながら待っていたら 「血液検査に行ってください」

朝 採血したけど? 

「もう一回 検査しますね」と言う   なんで⁉

 

また 血液検査の結果が出るまで 一時間近く待って ようやく診察に呼んでくれた

間質性肺炎になっています インターフェロンを中止します 」

 

だ ・ か ・ ら

ずっと前から 咳が出るって 訴えてたでしょ!!!!!

インターフェロンの副作用に

[ 非常にまれだけど重い副作用]として 間質性肺炎になると 先生がくれた資料に 書いてありますよね

と 言いたかった

 

インターフェロンをやめたら 回復してくると思う」

ステロイドを使うかは 少し様子を見てみる」 ということだった



夫は しょうがないとはいえ まれにしか出ない副作用の 眼底出血と間質性肺炎を引き当てるし

私は 先生に遠慮して「咳がでる」ことを 強く言い張れなかったし

ダメダメじゃん

 

2回目のインターフェロン治療は 39回で中止になった